「商品」に付随する性的イメージとしてのキャンギャル

http://d.hatena.ne.jp/sandworks/20031103
東京キャンギャルショー!

 これに関してコメントしているこのサイト
http://picnic.to/~babylon/index.html
永山薫の週刊少年バビロン(第三期)
の2004年03月07日文章が異様な熱気につつまれています!
 かなり長いけど丸ごと引用。


 で、面白かったのはそこからリンクしてる「モーターショーはキャンギャルと同数のキャンペーンボーイを」という主旨のアピール。これは素晴らしい提案だと思う。俺なんかシシィ系男子がパッツンパッツンのホットパンツで
「お前、コケたら絶対にそのバイク起こせないよな」
 みたいな逆輸入バイクにしなだれかかってる図を想像してしまいました。いやいや、むくつけき熊髭系キャンペーンボーイというのも、これはこれでステキかも。マッチョなレザーマンが上腕二頭筋なんぞを見せびらかしつつ、ミニバンにもたれて、体重で微妙にクルマが傾いてるなんてのも、かなりクルものがあるかも。そうそう、チビデブハゲメガネの課長タイプのキャンペーン・オヤジというのもアリですな。
 なんか、妄想が二丁目方向へと暴走しているが、
「女子だけが車のキャンペーンをしていい」
 と誰が決めましたか? オヤジ差別だろう!
 オヤジも視姦の対象になる社会。これこそが差別なき性的ユートピアでしょう(そういう意味でも二丁目ってスゴイ)。実際、ジャン・レノとか見てると無精ヒゲオヤジでも、見る人が見れば性的対象になるわけでさ、キャンギャルにしたって、ミニスカ、ホットパンツの女子だけという固定概念はどうにかすべき。爆乳熟女とか女王様とかお兄タイプとかあらゆる欲望に対応しなくては。
 冗談ではなく将来的には砂くんのアピールも実現可能だと思うのだが、その時の主催者側が官僚的な、ポリティカル・コレクトな員数合わせ思考しちゃうと「男のためのキャンギャル」に対して「女のためのキャンペーンボーイ」を配置してクリアということになりかねない。それをもって女性の権利が拡大されたなんて思わないし、まがりなりにも一歩前進したとも思えない。大体、男性向きと女性向きに分けるところから、「分割支配」が始まっている。一見、数の上では公平に見えて、ジェンダーロールは固定される。それではあまりにもつまらない。
 モーターショーって行ったことはないんだけど、俺は、あれはもうポルノグラフィに近いもんだと思っている。キャンギャルにカメコが群がるというのは愚直なソレにすぎない。クルマ自体がセクシュアルな存在だということを忘れてはならない。
 あー、熱が下がらん、書いててわけがわからなくなってきたので(以下次号)。

 
 しかし、巨大バイクとジャニ系というのは自分的にかなりハァハァな組み合わせなんですが、
 オヤジ系イケメンと高額自動車を組み合わせたTVCMっては定番なわけでして、
あと、頭文字D湾岸ミッドナイトなんて自動車漫画やアニメやVシネも
(ノンケから見た)イイ男性(若者-オヤジ)像と自動車の組み合わせ。*1

 男性(特にオヤジや独身男性)をメインターゲットにした自動車の広告では
マスメディア媒体では男性ホモソーシャル性を出しておいて
統一性(あるいはパワー)のイメージを出す。
 そのホモソーシャル性が強く出過ぎるショーやレース会場のような
自動車の祝祭的な場所ではセクシィ・ギャル(上野千鶴子)によって
"表面的な"ヘテロ成分(藁を補給するわけですね。
そのヘテロ成分は家父長制イメージ強化剤としてのヘテロ成分補給。
 
 
 けど、これは最近のファミリーカーや、
田舎に住む女性が主な購買層となる「軽自動車の広告」では
あまり当てはまらないと思います。
 そう考えると、軽自動車広告の文化史とかって、
卒論レベルだとちょっと面白そうな題材です。

*1:私は元自動車競技など関係者だけど、正直、走り屋ってあんな格好良くないし(笑)。